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zoom RSS 【九州遠征第1弾−18】JR筑肥線山本〜伊万里間を乗車する。〜2010年7月17日

<<   作成日時 : 2010/10/04 02:26   >>

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引き続き九州遠征第1弾の続きです。

2010年7月17日

JR唐津線西唐津駅で折り返し、JR筑肥線直通伊万里行きに乗車します。

<西唐津駅 9:25 → 2527D JR唐津線・JR筑肥線 普通 伊万里行き キハ125−5乗車 → 伊万里 10:20>
(乗車券:720円)


画像


唐津駅手前の高架上から唐津城が見えました。



余談ですが、この唐津城は一体誰が住んでいたのか気になって調べてみると・・・、

以下、Wikipediaより引用(恐縮!)

戦国時代には龍造寺氏の侵略を防ぐなどしていたが、豊臣秀吉が九州征伐を開始するとこれを出迎え従った。豊臣秀吉は1591年(天正19年)朝鮮出兵(文禄・慶長の役)の拠点として名護屋地区に名護屋城を築城した。1593年(文禄2年)には寺沢広高が唐津藩を与えられ、上松浦地方の統治を始めた。唐津は古くから大陸への要所だったといわれることもあるが、「唐津」の地名が記述などで現れるのはこれより後である。またこの年には秀吉の怒りをかった波多氏が滅ぼされたが、地元民の同情から岸岳末孫の祟りの話がいわれるようになった。

寺沢広高は波多氏の滅亡後、岸岳城の麓に仮城を造営し仮の居城とした。広高は1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いでは東軍方につき、肥後国天草郡4万石を加増され12万3千石の外様大名となった。1602年(慶長7年)より唐津城の本格的な築城を行い、1608年(慶長8年)に城下町共々完成した。このとき東唐津側と地続きであった満島山を切り離し、波多川(現代における松浦川)がそこから唐津湾に注ぐよう流路を変更した。広高は松浦川の流路変更(治水事業)に見られるように土木事業に長けており、防風林として松原の保護育成を行った。これが日本三大松原として今日に残る虹の松原となっている。またこの頃は現在に至る唐津焼の技法が確立された時期でもあり、1615年(元和元年)には中里太郎右衛門陶房などが唐津藩の御用窯に指定されている。

広高の子の堅高は唐津藩二代藩主となったが、天草領に構えていた富岡城が島原の乱の際に一揆側に攻められた際、その責任を取らされ天草領4万石を没収された。堅高は1647年(正保4年)に江戸藩邸で自殺し、また嗣子がなかったために寺沢家は断絶となり、寺沢氏が改易となると唐津藩領は一時天領となった。次に慶安元年(1649年)播磨国明石城主大久保忠職が唐津藩主となった。1678年(延宝6年)には大久保氏が下総国佐倉城に転出し、代わって同地より大給松平乗久が入城。1691年(元禄4年)大給松平氏が志摩国鳥羽城に転出し、同地より土井利益が入城。1762年(宝暦12年)土井氏が下総国古河城に転出し、三河国岡崎城より水野忠任が入城。1817年(文化14年)に、後に天保の改革を行った四代目の水野忠邦が出世目的に遠江国浜松城に転出を希望し、陸奥国棚倉城より小笠原長昌が入城、以後は小笠原氏が統治した。譜代大名6家が入れ替わり、長期間による藩主家の一大支配時代が一度も到来しないまま、明治維新により唐津藩は姿を消した。

引用終わり。

長々引用してすみません。興味深かったもので、自分の勉強のため。江戸時代、この地を収めたものは多くいたようですね。老中水野忠邦も最初はこの地を納めていたのですね。

鉄道の話に戻ります。

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しばらく高架を進むと、先ほどやってきた方向の筑肥線と分かれます。

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鬼塚駅に到着します。松浦川のすぐほとり。

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山本駅に到着。3方向に線路が分かれています。JR筑肥線は一番左側に向かいます。

この山本駅がJR筑肥線とJR唐津線の分岐駅になります。JR筑肥線は以前は福岡方面とつながっていたようですが、電化の際にこのような形になったとか。

JR筑肥線伊万里方面の運行は、朝晩は西唐津から伊万里間ですが、日中は唐津から伊万里間となっています。私が乗車している列車は朝の西唐津始発の最後の列車となります。

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山本駅を出発します。左側がJR筑肥線になります。真ん中の線路は筑肥線と唐津線双方に行けるようですね。ここで筑肥線も交換ができます。

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しばらくは唐津線と平行して進みます。

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暗い画像ですみません。シャッターを押す直前に雲の陰に。カメラもおいつかなかったようです。

右側の唐津線の線路のみにホームがあります。ここは本牟田部駅です。筑肥線の列車は通過というか、ホームがありません。

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本牟田部駅を過ぎて、いよいよ線路が分かれます。方角的には写真の右方向に進みたいのですが、線路は一旦左に・・・。



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JR筑肥線がJR唐津線をオーバーパスしていきます。ここからはトンネルや山の中を行くといった感じの風景になります。

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大川野駅に停車。ようやく乗車しているキハ125−5を撮影できました。キハ125に乗車するのは初めてですが、なんとなくキハ120に似た感じがします。乗客は自分を含めて10人程度。のんびりした車内です。

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対向列車としてやってきた唐津行きキハ125−8。検査明けなのか、車体がピッカピカです。唐津行きの方が乗客は多いような感じがします。

そして、列車は大川野駅を出発して、伊万里へ向います。

(つづく)

※今回の記事より、実際に払っている金額(割引切符代)と、実際の運賃を比べるため、下記の表記を記事の最後に行います。

なお、実際の運賃の計算は、Yahoo!路線検索にて行います。途中下車した場合には、その区間で一度下車したことにして、再度切符を購入したことにします。実際の料金計算と違う場合もあるかも知れませんが、目安として出しますので、何卒ご了承ください。

旅名人の九州満喫きっぷ:10500円
今回支払った運賃:0円
今回支払った累積運賃:2250円

今回の実際の運賃:720円
今回の実際の累積運賃:8390円

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